top of page

7月15日記す        相反する極

相反する極を持つということはどういうことか考えてみました。

循環できるということに気が付きました。私にとってこのような気づきも新鮮なのですが本当は当たり前のことなのかもしれません。  

例えば水泳でのクイックターン

ブールの端についたときには頭はすでに反対を向いてます。折り返しですね。

この折返しが循環を生み出すのだということ。

発勁では拳がの伸び切った状態でヘクトルは肘に向かいます。それだからこそ次の動作と連結できます。関節の連結から套路や型でも一気呵成の動きができるのです。

決めを重視した型の練習をしてきた人には馴染めない感覚かもしれません。 ワタシの考え方を押し付ける気はありません。

こんな考え方もあるということて捉えていただければ嬉しいです。

発勁などパワーの出どこはやはり丹田です。

表面ではないので意識しづらいですが、私はおへそと耳を意識すれば勁の幹線道路ができ体軸とともに丹田からのパワーを使えると思っています。

私の武術ては重要なことなのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
4月18日記す 宮本武蔵

宮本武蔵がどういう人が会えないのでわかりません。でも彼の残したものから垣間見ることごできます。 彫刻や絵などやはり卓越してます。 五輪書を読んで 稽古に熱心に取り組むこと 研究すること 常に言っています。 彼が常に努力してきたことか伺い知ることができます。...

 
 
 
6月17日記す 「五輪書」から「たけくらべと云事」

たけくらべと云は、いづれにしても敵へ入込時、わが身のちぢまざるやうにして、足をものべ、首ものべて、つよく入、敵のかほとかほとならべ、身のたけをぐらぶるに、くらべかつと思うほど、たけ高くなって、強く入所肝心也、能々工夫有ぺし 訳...

 
 
 
4月16日記す 「五輪之書」から「しっかうの身と云事」

漆膠とは、入身に能付けてはなれぬ心也 敵の身に入時、かしらもつけ、身もつけ 足もつけ、つよくつく所也 人毎に顔足ははやくいれども、 身の退くもの也 敵の身へ、我身をよくつけ、 少も身のあいのなきやうにつくもの也。 能々吟味有べし 訳...

 
 
 

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page