top of page

3月7日記す 人の太極と無極

池田の一生を考えてみます。

空間の中のエネルギーが父親、母親を通して母親の胎内で無極として生まれました。

生まれる前の池田は空間の太極のエネルギーです。

太極のエネルギーを通さなければ人は生きれません。呼吸てすね。

やがて臨月を迎え池田という人間の太極になりました。

人は太極です。

でも無極として存在する場面もあります。

例えば心肺停止をしている人がいた場合、呼吸してない人と呼吸している人という立場が生まれます。

人工呼吸はお互いが無極として呼吸を共有しているのです。胎内の赤ちゃんが母親と生命を共有しているように。

芸術も見惚れている、聞き惚れているという状態は

観ているもの、聴いているものと自分は無極になって太極になっているのだと思います。

武術でも中心を合わせることにより相手と空間を共有することができます。

中心を合わせればお互いが無極になります。

池田の一生ではやがて池田という人間は無極になり空間という太極に戻るのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
4月23日記す 五輪書から

身のあたりという云う事 身のあたりは、敵のきわへ入こみて、身にて敵にあたる心也、。 少我顔をそばめ、我左之肩を出し、敵の胸にあたる也 あたる事 我身をいかほどもつよくなり、あてる事 いきあひ拍子にて はづむ心に入べし、此人事入なるひ得ては...

 
 
 
4月18日記す 宮本武蔵

宮本武蔵がどういう人が会えないのでわかりません。でも彼の残したものから垣間見ることごできます。 彫刻や絵などやはり卓越してます。 五輪書を読んで 稽古に熱心に取り組むこと 研究すること 常に言っています。 彼が常に努力してきたことか伺い知ることができます。...

 
 
 
6月17日記す 「五輪書」から「たけくらべと云事」

たけくらべと云は、いづれにしても敵へ入込時、わが身のちぢまざるやうにして、足をものべ、首ものべて、つよく入、敵のかほとかほとならべ、身のたけをぐらぶるに、くらべかつと思うほど、たけ高くなって、強く入所肝心也、能々工夫有ぺし 訳...

 
 
 

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
bottom of page