立てば平準の如く。 動けば車輪の如し。 偏き沈めば動きは崩れ、双重であれば動きが滞る。 何年稽古をしても、応用できなければ、ことごとく人にやられてしまう。 これは「双重の病」を悟らないからである。
※ウキペディア口語訳からの引用
◯立如平準、活似車輪
私なりの解釈
立てば平準とは天秤のように立つという意味です。綱渡りの人は左右にバランスを保ちながらまっすぐ立ちます。動けば車輪のように動くとは下肢の動きをさしているのだと思います。上から下に体重をかければ体術移動はスムースに動けません。膝が固定されてしまうからです。膝が自由に膝の動きをするなら車輪のように円滑にスムーズに体重移動ができます。そのためには体軸が実になり足が虚とならなければなりません。
◯偏沉則隨、雙重則滯
一方に沈むと相手の動きに随行できません。
両方に重心がかかればスムーズな重心移動ができません。
◯毎見數年純功、不能運化者、率皆自為人制、雙重之病未悟耳!
私なりの解釈です。
長年稽古を積み重ねても身体全体を使う身体操作ができてなければうまく動けない。
※ここに私特有の解釈があります。
雙重之病未悟耳
普通に訳せば双重の病を未だ理解していないという意味になる見たいです。
中国語のわかる何人かの人に尋ねると日本人のように耳とは訳さないそうです。耳という意味では使われてないそうです。
でもそれなら私はあえて王宗岳氏が隠語としてかくされている意味があると思ってしまうのです。
なぜなら耳を意識すると双重にはならないからです。
私の解釈は
耳を悟れば双重の病にはならないです。
私にとってはこのことはとても重要ポイントです。
動けば車輪のことし
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