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6月28日         自然に生きる

自由という概念は難しい。本当に自分が好き勝手にやることが自由ではない。やはりそこに自然の法則があります。私にとっての自然の法則とは陰陽を理解することです。反対の極を認めてこちらの極が存在できます。

筋肉の動きは身体のエネルギーの動きを誘発します。それぞれ反対の極についているからこそ自然に身体エネルギーが流れるようになっているのです。自然な身体操作は自然な生き方から身につくようになっていました。しかし便利すぎてなんでもリモコンで操作できる現代自然な身体操作が身につくのが難しくなってきました。昔は遊びでもそうです。身体を動かして遊んでいました。今はゲームをやる子が多い。ゲームで全身を動かしていますか?昔できたことが今はできなくなってしまっています。わたしが子供の頃よく焚き火をしてお芋を焼いていました。今は焚き火はできなくなりました。

学校では住所録を誰もが利用していました。電話帳にも個人情報がのっていました。今は個人情報が悪用される時代です。便利な中に失われるものもあるのです。

随意筋だけで動けば一部の部分的な筋肉しか動きません。

わたしがゴールドジムでクラスを持っていた時、マッチョの人と会話したことがあります。関節を固定しないと他の筋肉も動いてしまう。そんなことを言っていました。身体全体を使う私と一つ一つの部位を巨大にしたい彼らとは話が合わないのです。例えば大腿四頭筋の発達を自慢する人に後ろのハムストリングも鍛える必要があることを伝えた時私はそんなに大腿四頭筋ばかりを鍛えると走れなくなりますよというと走ることはしないとマッチョの人は言います。ああそうですかと言うしかありません。

腕立て伏せで体軸から身体を持ち上げ全身を使うと言う私にそんな身体操作では上腕筋は発達しないと否定されます。会話が噛み合いません。あくまでも部分的な筋肉運動を数多くして巨大な筋肉をたくさん作ることで筋肉のバランスを取ろうとする彼らに対して全身運動から筋肉を発展させたいわたしとはトレーニングの目的が違うのです。

昔の人は生きるために身体を動かしてきました。今は身体を動かさなくても生きていけます。

食べ物も人工的なものが多くなってきました。

そんな現代だからこそ自然な生き方を見直す必要があるのではないかと思います。

体軸を使った自然な身体操作ができる套路の必要性を感じています。

 
 
 

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