top of page

4月26日         察「四兩撥千斤」之句、顯非力勝、觀耄耋能禦衆之形、快何能為?

察せよ、「四両で千斤を撥く」の句を

明らかに力で勝つのではないのは明らかだ

老人が大勢に勝つ事ができるのは、技が速いからではない。なんと痛快なことか


小さな力で大きな力をはねのけることができる。これこそ技ですね。技は偶然ではありません。テコや円運動の原理が働いているのです。

力が強い者が弱いものに打ち勝つ、

素速い者が遅いものより優勢になる

という事が一般的ですが

熟練した技を身につけた老人は大勢の人にでも勝つ事ができる。これは武術冥利につきますね。

エネルギーは相反する極から生まれます。

正にここが太極拳の真髄ですね。

筋力は部分でしか働かない。

身体エネルギーは全身を流れます。

流れる力を勁とした太極拳、この勁から繰り出した技は「四兩撥千斤」を可能にするのです。

老人が大勢の人に勝つことも可能になるのです。

「用意不用力」

という言葉があります。

意を用いて力を用いない

意識で勁を流すのです。

どこからどこまで流すのか

その意識が何より重要なのだと思います。

閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

5月2日記す       本是「捨己從人」、多誤「捨近求遠」。所謂「差之毫釐、謬之千里」、學者不可不詳辨焉!是為論。

本来は『己を捨て人に従う」(無心になり自然に対応する)ものだが多くの人は誤って近くを捨て遠くを求める。差はわずかだが誤りは千里の程もある。学ぶものははっきりこのことをわきまえなければならない。 このことを論とする。 例えば船が沈没して海に投げ出されたとする。 何人かいた場合みんなが仰向けになって手を繋いで丸くなって浮かんだ方が溺れないで済む。なかなかそれが難しい。大抵はもがいてしまうだろう。 物が

4月28日記す       毎見數年純功、不能運化者、率皆自為人制、雙重之病未悟耳!

何年練習を積もうともうまく運化(勁を流す事が)できなければ人に制されたしまう(やられてしまう)双重の病を未だ悟らないからである。 勁をうまく流さなければ人に勝つことはできない。双重の病から抜け出せないからである。 この言葉で中国語のわかる人に聞くと耳は大した意味はないとのこと 双重の病を未だ悟らないからである。と訳すのが普通だという事だそうだが、でも私はこの耳という字に引っかかってしまう。 弓の師

立如平準、活似車輪。偏沉則隨、雙重則滯

立てば天秤のように、動けば車輪のように 偏って沈めば動きは崩れ、双重であれば動きは滞る 立てば天秤のようにとはどういうことか。 左右上肢を釣り合わせる事です。綱渡りをする人は両手で水平に棒を持って均衡を保ちますね。左右の手の関係は静となります。左右どちらかに傾けばそれを修正するようにバランスを取ります。 随曲就伸とも言えますね。行き過ぎすぎ行き足りず天秤のようにバランスを取ります。野馬分鬣の前半の

bottom of page