top of page

4月25日記す       一羽不能加、蠅蟲不能落。人不知我、我獨知人。英雄所向無敵、蓋皆由此而及也!

一枚の羽の重さが加えられない、蠅も落ちるしかない、人は我のことを知らず、我は人のことを知っている。英雄が向かうところ敵なしなのは

皆このような段階に及んでいるからである、


一枚の羽の重さが加えられない、蝿も留まっていられない状態とはどんな状況なのでしょう

そこに筋肉重視の身体操作と勁の身体操作との質の違いがあります。

勁は流れるのです。相反する関節の連携から流れる勁と部分的な筋肉の動きとでは明らかに違います。

推手では力任せにやるのではなく、触れているか触れていないかくらいの感覚でやる事が大切です。実際の攻防においても力任せにするのではなく関節の連携をすることによって力がぶつからないで相手を受け流す事が可能になります。


人不知我、我獨知人

この言葉は気配のことを行っているのだと私は思います。空間を感じる力は関節にあります。プロプリオセブション(受容感覚器官)と言います。

筋肉主体の動きではこのプロブリオセプションの働きが十分ではありません。関節の用い方次第で相手に気づかれないで動くことも相手の動きを察知して動くこともできるのです。

関節の緩みから関節を連携させます。緩みだけでは腑抜けになってしまいます。関節を連携させることによってプロプリオセブションも十分働き

相手に気づかれないように動いたり、相手の動きを察知したりできるのです。ここまで空間を感じられる感覚を鋭くしたら誰にも負けず敵がないよ

うな段階にまで至ることができるのです。



閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

5月9日 太極拳経と私

皆さんは太極拳経と言われてもあまり関わってない人がほとんどだと思います。 私もまずは中国語がわからない。難しい漢字の羅列。到底意味なんてわからないと思っていました。でもなんとなくわかる漢字から取り組み始めました。漢字自体の言葉の魅力がそこにあったからです。太極と無極 何か宇宙の原理のような気がしました。エネルギーは相反する極から生まれます。 プラスとマイナス 中国で陳小旺先生の初めての講習では何も

武術の身体操作

太極拳経を読んで私のわかったことは多いし、私の武術に大きく影響しています。 身体はとてもよくできています。あるがまま自然に動くことがとても大事でまた難しいことでもあることを感じます。 冷蔵庫など重く大きな物を運ぶ時、冷蔵庫の表面にだけを持って運びませんね。奥行きも考えて待ちます。そうしないとうまく運べません。 套路や型を演じる時、平面的な動きになっている人が多いように感じます。随意筋主体の動きでは

5月8日 動と静

太極拳経から思いついたことを気ままに書いてます。太極拳経では動と相反する言葉として静を使ってます。 動く、止まる ではなく 動と静です。 関係性を感じさせますね。 分かれれば動、合えば静とも言っています。 車が動いたら動、別の車も動けば動 しかし同じスピードで並んで動くと2台の車の関係は静になります。 身体エネルギーでの動と静を関節から考えると相反する極を分けると動になり合わせれば静になるともとれ

bottom of page