武術の流派は多く、その技も多様だが.概ね強いものが弱いものに勝り、遅いものは速いものに譲る。
力ある人が力のない人に勝ち、遅いひとが速い人にやられる。
これは自然のことであって、稽古を積んで得られることではない。
言葉の訳からこのような意味だが逆に言うといくら稽古を積んでも強い者が弱いものに勝ち速いものが遅いものに優れているのては長年積み重ねる稽古の意味はない。
弱いものが強いものに勝ち技の遅いものが技の速いものに優れる事で長年の稽古の意味がでてくる。
普通多くの門派でも力重視の稽古に陥りやすい。いくら技の練習をしても力あるから勝つ、速いから遅いのに勝てる。これでは当たり前のことで
あり長年の稽古を積む意味がない。
積み重ねる稽古の質を変えなければならない。
形だけにとらわれ、筋力重視の稽古を積めば積むほと身体全体を使う勁の概念からは遠ざかってしまう。きちんと質の違いを理解し勁が稽古で身につくようにしていかなければ本物の統一体としての武術にはならないのである。
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