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執筆者の写真Hideyuki Ikeda

2024年4月22日記す    左重則左虚、右重則右杳。


私は左に重心がかかったら左を虚にする

右に重心がかかったら右を虚にする

この意味だと私は思う。

しかし右では虚ではなく「杳」(よう)という字が使われている。

『新潮日本語漢字辞典』を引くと

音は「ヨウ(エウ)」、訓は「はるか」、意味は「①奥深くて暗い。ぼんやりしていて、はっきりしない。」「②はるか。 遠く離れたものかがゆらゆらとたゆたって霞んで見える。

このように記載されている。

私は杳は虚と同じ意味で使われているのだと思う。

なぜ虚という字を使わなかったというと

左と右の違いからだろうと私は推測する。

左は心系(縦の動き)、右は肝系(横の動き)だからだ。

起勢で両手を上げる動作があるが、いろいろな人の動画を見ても大抵の人は右手が若干高い。ほんの少しの違いだがよく見るとわかる。

これは心系の左は肩から手をあげるが肝系の右は肘からあげているからである。

試しに相手の左手の上腕を押さえると相手の手は上がりやすいが前腕を押さえると上がりにくい。右手では上腕を抑えると上がりにくいが前腕を押さえると上がりやすい。明らかに違うのである。

このことから左は上下で虚実をいえるが、右は上下の虚実とは言いにくい。それで杳という表現をしているのだと私は思う。杳の意味からも実でないことは確かだ。虚と同じ意味と考えるべきだろう。

なぜ重心がかかった方が虚でなければならないか

ここに勁が筋肉と違う特性があるからだと思う。

勁は流れるエネルギー、

意識を上にすることで下半身の筋肉が緩み勁が舌に流れやすくなるのだ。

足を意識すると逆に勁は下に流れにくくなる。

筋肉が働くと勁は流れにくい、筋肉が緩むと勁は流れやすくなる

倒巻昿の式で考えてみよう。後ろに下がる時片方の足に重心がかかる。その時の両手は掌を上きにする。そのことによって上肢、下肢のバランスができ体軸を作ることができるのだ。両手が実となり足は虚となる。この両掌を下向きにして両手の甲を上にすると上肢の力のベクトルは下にかかり膝は固定され安定が悪くなる。大腿がかたまり膝が固定され勁は流れにくくなる。掌を上にするとベクトルは上になり大腿四頭筋ではなくハムストリングが働き膝が自由になる。このことによって

勁は下に流れ安定するのである。

赤ちゃんを考えてみよう。赤ちゃんを抱っこしている時、赤ちゃんが寝てしまうと途端に重くなる。身体エネルギーが下向きに向かうからである。両手のひらを上にして実とすることで足は虚とする。筋肉が固まった方が安定が悪い。身体エネルギーが下向きに向かった方が実は安定が良くなるのだ。その時足の意識は虚とする。実とすると随意筋が働き筋肉が固まるからである。

重心がかかる方の足の意識を実とすると筋肉はかたまり安定は悪くなる。勁が足に十分巡らないからである。足を意識しないで虚とする方が筋肉はかたまらず、足に勁が流れ安定するのである。身体に上と下のベクトルがかかり体軸ができるのである。

要は勁は流れる、勁は筋肉が緩んでいる時は流れやすい。筋肉が固まると勁は流れにくくなる。筋肉が固まっているより身体エネルギーの勁が下に向かった方が安定がよくなる。足の意識を実とせず虚にした方が勁が下に流れるのである。

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