本来は己を捨て人に従うものだが多くの人は誤って近きを捨て遠くを求めている。差はわずかだが誤りは千里である。学ぶものははっきり見分けねばならない。
これを論とする。
私なりの解釈
己を捨て人に従うこと
逆らえばぶつかる
ぶつからないで転機を見出す
このことは虚実だと思います。
推手の秘訣に
捨己従人 後発先至
という言葉があります。
相手が攻撃したら虚にして実で返す
これこそ化勁の奥義だと思います。
虚実をもって対処すること
私は太極拳経の最後の部分を読んで何故
捨己従人が書いてあるのに後発先至
が書いてないのだろう。
その方が虚実のことがはっきりわかるのに
最初はそう思いました。
太極拳経の全文を理解していくと
王宗岳先生の通りでいいのだ。
むしろ後発先至は書くべきではないと思いました。
何故王宗岳先生が後から発して相手の裏をとると言う言葉を使わなかったか
今ならわかるような気がします。後発先至を意識的にやればやはり自然の動きではなくなってしまいます。
無心で反応することで自然の動きができるのです。
それは見た目は差がなくても大きな違いなのです。
やることの差はわずかかもしれませんが結果の差は大きいです。
「多くの人は近きを捨て遠くを求めている」
このことはどういう意味か
私なりの解釈→
多くの人は身近な本来の自然な動きをせず
頭で考えて動く部分的な動きをしてしまう。
要は勁ではなく筋力に頼ってしまう。
このことを言っているのではないでしょうか?
要は王宗岳先生の一番言いたかったことは自然に動きなさいということなのだろうと思います。
自分で意識で逆らうと力はぶつかります。
自然に逆らわなければ自然に転機が生まれ
事態は好転します。
見た目は同じでも意識的に動くのと自然に動くのと大きな差があります。
自然の流れに乗ればそこには陰陽があり虚実があり自然な対処ができるのです。その自然な動きを身につけることこそ難しいことであり修練がいる。
そういうことをまとめとして言いたかったのではないか思います。
見た目の差はなくても意識的に動くのと自然に動くのとでは動きに大きな違いがあります。
太極拳経全体で自然な動きは身につけるための秘訣を書き
最後に捨己従人
(自分の意識を捨て自然な流れにのること)
で締めくくりこれを論とした王宗岳先生
さすがです。
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